20150226

起きる。賞味期限が明日の卵がまだ6個残っていて、ひとつを目玉焼きにしてハムと一緒にトーストに乗せて食べる。白身で上顎をやけどしてしまう。もうだめだ、と思う。今日はだれにも会いたくない。
昨日は運転免許を更新しにすこし遠くまで行った。とても憂鬱な気持ちがあって、スターバックスのタンブラーにスターバックスのおいしいやつを入れてもらって、なんとか自分を奮い立たせた。講習では時速100キロで車が衝突する映像を見せられてその衝突音に体がビクリとなり、わたしのビクリに隣の人がビクリとなって申し訳なくなる。黒のビキニと黒のカーディガンと黒のスキニーパンツという格好の女性がいて混乱する。谷間に出来たての免許証を挟んであげたかった。
夜、除雪車の音を聞きながら、もうこの音を聞きながら眠ることもないのだなと思い、ちょっとかなしくなる。札幌は6年しか住んでいないけど、とても愛着を感じる。すすきの、札幌駅、大学、自宅を囲うこの半径2キロ圏内の領域で、わたしはぬくぬくと6年間を過ごした。逆にその領域の外はたとえ札幌市内であってもわたしにとってはアウェイな場所であり、居心地がわるく、愛着もなかった。さながら井の中の蛙だ。ここから出たくないな、と思う。でもきっとそれは引越しの準備がめんどうなだけだ。いまのおうちが好きだとか働くということがこわいとか恋人と遠くになりたくないとかそういうのではなくて、ただただ、引越しの準備がめんどうなのだ。そうでしょう?とわたしに問う。はい、わたしは引越しの準備がめんどうなのです。とわたしは答える。声に出して復唱。はい、わたしは引越しの準備がめんどうなのです。言い聞かせるようにもう一度。はい、わたしは引越しの準備がめんどうなのです。
流行りに乗っかってココナッツオイルを購入する。フライパンに落とすと、ココナッツの甘い香りがする。香りに反して味は甘くない。グリーンカレーに使ったらおいしいかもと思いついて、作ってみる。ココナッツミルクは高いから豆乳で代用して、その分ココナッツオイルで具材を炒めて、ナンプラーとかペーストとかその他スパイスを適当に入れる。具材は鶏肉とタケノコとお茄子とパプリカとミニトマトと三つ葉。結果ココナッツの香りがするサイコーにおいしいグリーンカレーができた。サイコーにおいしくて、恋人にも食べてほしいと思い、同時に恋人は辛いものが全く食べられないことを思い出す。辛いものが食べられない恋人は、普段なにを食べているのだろう。わたしは恋人のことを全然知らないな、と思う。でも恋人も、わたしがグリーンカレーが大好きだということをきっと知らない。お互い知らない部分が多くても、愛し合っていれば、それは恋人なのだろうか。いやまあ恋人なのだけど、わたしはもっと恋人のことを知りたい、恋人にもっとわたしのことを知ってほしいのだ。あと2週間程で札幌を去る。恋人に何回会えるだろうか。おいしいグリーンカレーを作ったことを、わたしは恋人に教えられるだろうか。
2月なのに雨が降ったり道路から雪がなくなったりしておかしい。このまま明日には雪がなくなり気温が20度を超え桜が咲きヤシの木が生え出す。そんなことを考えていたら目玉焼きの白身でやけどした上顎がもうなんともなくなっていて、人体ってすごい。でも今日はもうだれにも会わない。決めたのだ。今日はおうちに籠城をする。わたしの最も愛着のある領域の核の部分で、恋人の知らないグリーンカレーを食べるのだ。

20150216

来月から住むおうちを決めに大阪へ行った。おうち選びはスルスルと進み、帰りに新しい洗濯機を買ってもらってニコニコとした。夕食は家族揃ってごはんへ行き、エビやアワビがあり、お酒がおいしかった。この日はバレンタインデーで、父と弟にはチョコレートを、母にはハンドクリームをプレゼントした。お酒に酔い、深く眠った。翌朝は市場に行き新鮮なものを眺める。わたしは市場の雰囲気が昔から苦手だ。それはきっと生鮮品を扱っているからなのだろうけど、今!今売らねば!という勢いのお店の人と、それをフーンワアスゴイと交わす観光客の人と、その脇でゆっくりと確実に鮮度を失ってゆくお魚や甲殻類たちの、みんなの気持ちのベクトルみたいなものがてんでバラバラで、わたしは拠り所がなくなってしまうのだとおもう。あと大きな声を出す人がこわいというのもあるのだけど。24歳のおわりになっても市場はやはりすこしこわかった。こわがるわたしをあやすように父がマグロの握りやふぐのお味噌汁をどこからともなく買ってきてわたしに与え、それらはハチャメチャにおいしい。父はわたしがおいしいものをおいしいと言って食べるときとても嬉しそうな顔をする。駅で両親と別れ、空港に向かう。わたしは飛行機に乗ると必ずなにかある。行きの飛行機は出発が2時間遅れた。帰りの飛行機は定時に離陸したのだけど、到着する予定の新千歳空港の滑走路が1本だめになってしまったらしく、青森上空で2時間待ちぼうけをくらった。揺れにつられ眠り、起きると窓の外の空の色がさっきより濃くなっていくのを確認することを、何度か繰り返す。新千歳空港についたときにはもうヘトヘトでそのあとの電車もタクシーもよく覚えていない。雪のなかやっと自宅に戻り、おうちだー!とベッドに倒れこんだ瞬間、あ、このおうちはもうわたしのおうちではないのだった、と思う。わたしのこれからのおうちは大阪にあり、大阪のおうちが決まったときから、このおうちはそれまでのあと1ヶ月を過ごす仮の住まいになったのだ。なんだっけ、だれかの本の内容を思い出す。女性の体内の卵の数はおかあさんのおなかにいるときがいちばん多くて、それからだんだん減ってゆくこと。だから、初潮はまるで女としてのはじまりのようだけど、それは同時に女としてのおわりへと着々と進み始めたことでもあるということ。だって卵は有限だから。今までわたしのおうちだと思っていたこの札幌のおうちが、期限付きの、有限なものになってしまった。そう思うと途端に居心地がわるくなってきて、おずおずと服を脱ぎ、眠る準備をした。その夜の夢は飛行機で雨雲に突入する夢で、起きたらひどい頭痛があった。懸案事項やひどく記憶に残っていることが夢に出てくる体質を、早く治したいと思った。